椅子に座ったままできる簡易座禅

久しぶりに岡野守也氏の唯識講座に出席しました。講義の途中で、椅子に座ったままで出来る簡易座禅法を学びました。ポイントは呼吸法でした。正式の座禅ができなくても日常すぐにできる簡易座禅です。

まず息を吐くときに、吐いて吐いて吐いてと思いながら十分に息を吐き、次に吸って吸ってと思いながら息を吸うのです。その時思いは息を吐くことと吸うことだけに集中します。そこに二つの思いだけが存在するので雑念は消えます。二念夢想の境地です。これは座禅の数息観の変形ですが、雑念を消すことは可能になります。座禅のときのように指を法界定印に、目を半眼にしながら、わずか15分行っただけですが、終わって気分が爽やかになりました。

正しいこともだめなことも言葉でいろいろ考えることを雑念と割り切って、その世界から脱出することは、人間にとって大切なことのようです。

人間は眼耳鼻舌身の五官と意識のほかに、こころの深層に、自分を実体化して無常・無我であることを認めないマナ識があり、これがやっかいな煩悩を引き起こします。この煩悩は、いかり、うらみ、ごまかし、ねたみ、ものおしみ、だまし、へつらい、傷つけ、おごり、おちこみ、まごころのなさ、いいかげんさ、ものわすれなどなど、日常の我々のこころをを振り回しています。さらに、こうした煩悩の奥底にはエゴイズムの源泉である我癡、我見、我慢、我愛があります。

こうした煩悩から脱却するためには、六波羅蜜の実践(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)によって、こころのさらなる深層にあるアーラヤシキに善なる種子を貯蔵し、その種子の発芽によってはじめて消すことができるというのが唯識仏教の教示です。

六波羅蜜の実践において最も重要な禅定においては、言葉で考える世界を雑念ととらえ、そこから脱却して無念夢想の世界に入る必要があり、そのための準備体操的な活用として、まず二念夢想の呼吸法や一念夢想の数息観があり、そして無念無想の本格座禅の世界があります。

理屈はともかく、こうした呼吸法を体得できればこころの平静を取り戻せることは確かです。今の病気の主治医の先生からは治療中の注意事項として、腹八分目と腹式呼吸の実行を指示されています。

気がつけば三日坊主になりがちな私にとっては、座禅を継続するため、ときどき講座に出かけて刺激を受けることが必要のようです。