すごい人 こころが温まる人
今日の毎日新聞夕刊(人生は夕方から楽しくなる欄)に大中(おおなか)恩さんの記事が載っていました。
こどものうた「さっちゃん」や「犬のおまわりさん」の作曲者という記事を読んでひとしきり長女が小1で次女が幼稚園時代の楽しかった状景を思い起こしました。
あのメロディーは今でもちゃんと覚えています。
大中さんは長く連れ添った先妻を介護し、看取ったのが73歳の時だ。3年後に一人住まいの家に電話が鳴って物語がはじる。・・・(年齢が離れており)迷う聖子さんの背中を押したのは、「今だったら君の力になってあげられる。でも今しかない。僕には今しかないんだ」。(物語の夕刊記事は切り抜いて保管します)。
そして今の奥様と80歳で再婚されました。そして今90歳です。お元気に合唱団を結成されており、30年40年と「メグ先生を」慕い、ともに歌い続ける人も多いという。
学徒出陣で入った海軍では、特攻隊に何度も志願したが選ばれなかった。国のために死ねないっことが悔しかった・・・。戦後も長く公に語ることもなかったそんな戦争体験も、今は優しい目のまま話してくれる。
<所感>
・記事を読みながら、すごい人だ、温かい人だ、こんな生き方が出来る人は少ない。いたく感激しました。
久しぶりのブログ
1ヶ月半以上もブログ記録から離れてしまいました。新しいアイデアに時間を優先したためです。
難病治療が順調に進み、隔月から年2回の治療入院でよろしいと言われて、余命数年は大丈夫と実感、もう一度仕事をしたいという欲が出ました。
WEBマーケティングの仕事ならば、聴力低下者でも可能だと思われ、その世界の学習に取り組んだ次第です。
新しい知識の吸収は戸惑いながらも面白く、脳みそがびっくりしています。日野原先生提唱の新老人の生き方を実践しています。
母べえが知人から頂いた無料券で整体コースに出かけ、予想以上に良かったので翌週は有料で出かけました。整体師から印象深い発言がありました。
「健康維持に必要な 正しい姿勢 と あなたの楽な姿勢とは違います。正しい姿勢をしっかり意識して、楽な姿勢になろうなろうとするのを直す努力をしてください」
「息を吸う時に鼻から吸って、胸を張ったください。頭を前にかがめないでまっすぐにしてください」
同じ時期に、似たようなコメントをいつも見ているビジネスWEBブログで発見しました。
「胸を張り、少し目線を上にあげてみてください。 胸を張り、胸の高さが変わるだけでも 日々に感じる感情が変わります。そして、見ている自分の感情がポジティブになると、 世界の見え方まで変わります
「日々、仕事でも、プライベートでも、ポジティブな気持ちで物事に取り組むことで、あなたが持っている能力がより引き出される ことでより良い結果を手に入れることになるのです」。
<所感>
胸を張って毎日を過ごそう。
六波羅密をめぐる新発見
繁華街外出による感染症を恐れて欠席続きだった岡野先生の仏教講座に、先日ひさしぶりに出席しました。講義は「大般若経」でした。
驚くべき発見がありました。以前学んだ唯識(攝大乘論)によれば、大乗仏教の基本的な実践の方法は要するに六波羅密です。「不完全な凡夫が完成された仏になるための行」と「迷いのこの岸から悟りのあの岸に渡るための行」です。具体的には、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という6つの波羅蜜です。
この六波羅密という言葉と内容説明を学んで以来、これは個人個人のこころのあり方の改革として理解しておりました。
しかし、今回「大般若経」の「摩訶般若波羅蜜経夢行品第五十八」の訳文を読んで、こころの問題だけではなく社会的実践を提唱していることがわかりました。
●菩薩摩訶薩が布施波羅蜜を実践する時、衆生が飢えて凍えて衣服が敗れているのを見たら、次のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを得た時、私の国土の衆生に衣服・飲食・生活に必要なものが天界にあるようにしよう」と。こうした行をなすことで布施波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる。
●菩薩摩訶薩が持戒波羅蜜を実践する時、衆生が殺害をなし、邪な考えを持ち、寿命が短かく、病が多く、威厳がなく、貧乏で財産がなく、下賎な家に生まれて様子が醜いのを見たら次のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを得た時、私の国土の衆生に、このようなことのないよう」と。こうした行をなすことで持戒波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる。
●菩薩摩訶薩が忍辱波羅蜜を実践する時、衆生が互いに憎みあい、怒鳴り合い、お互いに傷つけあい殺しあうのを見たならば、次のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを得た時、私の国土の衆生に、このようなことのないよう」と。こうした行をなすことで忍辱波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる。
●菩薩摩訶薩が精進波羅蜜を実践する時、衆生が怠惰で精進せず、覚りに向こう岸へ渡る努力をしないことを見たならば、次のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを
得た時、私の国土の衆生に、このようなことのないよう」と。「こうした行をなすことで精進波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる」。
●菩薩摩訶薩が禅定波羅蜜を実践する時、衆生が婬欲、怒り、眠気、後悔、疑いのため、禅定に入ることができないことを見たならば、次のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを得た時、私の国土の衆生に、このようなことのないよう」と。「こうした行をなすことで禅定波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる」。
●菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を実践する時、衆生が愚かで社会常識的および超越的な正しい考えを見失い、カルマもなくカルマの因縁もないと説き、あるいは実体的霊魂の永続性を説き、あるいは死んだらすべては終わりだと説き、あるいは単なる空無を説くのを見たら、こ
のような願を立てるべきである。「私がこの上ない悟りを得た時、仏の国土を浄化し衆生を成熟させ、私の国土の衆生に、このようなことのないようにしよう」と。「こうした行をなすことで般若波羅蜜を完成させ、この上ない覚りに近づくことができる」。
<所感>
・奈良時代初期の慈恩大師、道昭、行基、徳一といった高僧の生き様は、まさに上記の視点に沿った生き様であったように思えます。また奈良仏教のお寺、仏像の力強さ、美しさはこうした生き様の反映なのだと思います。
・そうした素晴らしい唯識の世界が後半に道鏡のような堕落僧が発生して、平安時代に移っていく歴史を見ると感慨無量です。
・奈良時代初期の優れた人々の精神、生き様をあらためて学ぶ必要があるようです。
先週は忙しかった
・難病の患者交流会が発足、発起人2人が女性なので、相談にのっているうちにスタッフにさせられて、準備に時間を取られました。でも盛会に終わってやれやれです。
・難病治療の経過は順調で、入院治療は2ヶ月ごとから年2回に変更することになりました。隔月の通院は現行と変わりませんが、ありがたいことです。
・病院に通う途中、中央高速道路が渋滞でのろのろ運転中、居眠り運転のトラックに追突されました。幸いムチ打ち症にはなりませんでいたが、車の後部はぐしゃぐしゃ。
・道路の左側(壁際)に移動したところ、到着した高速道路管理者は安全のため後部で赤旗を振ったり、三角の注意柱を立てたりしてくれました。警察へ報告、到着した警官への報告、保険代理店への報告、レッカー車手配、レンタカー手配、車のディーラー(修理工場)への連絡などを行いました。私が聴力低下なので母べえが電話連絡(ここでも2人合わせて一人前)。
・すべて手配通りに進行し、レッカー車に同乗して調布駅から電車で恵比寿駅へ、そしてタクシーで日赤病院へ到着という次第でした。
・翌日車のディーラーで後部ぐしゃぐしゃの車に対面、営業マンによれば車の躯体が損傷しているのでやっかいだとの話です。保険会社との話し合いに時間が取られます。
・その後、薬師池公園の写真展を見物にでかけ、母べえの展示写真と対面、役員の皆様にご挨拶。
薬師池公園で今年はじめての満開桜を鑑賞しました。帰りには美輪の里にも立ち寄りました。