「五輪招致決定」の意味をあらためて考える(2)
五輪招致に批判的だった小生が、五輪招致決定後日本人として肯定的に受け止めた感覚の変化にわれながら不思議と思い、その理由を考えた結果「軽薄かもしれないが、その底に抗しがたい感覚の変化があったと思われます。左右のイデオロギーを超えた日本民族としての立場が軽薄な感覚の背後にあると思います。問題はそうした民族的な立場が為政者に利用されることが多い点にあると思います」と書きました。
その後、参考になる2つの論述を発見しましたので、記録しておきます。


産経新聞9月14日「賢者に学ぶ」欄 哲学者 適菜収「群れることの危険性」のポイント

・右派だろうが左派だろうが、市民運動的なものは劣化していく傾向をもつ。それを明らかにしたのが、フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(1841〜1931)である。ル・ボンは心理学の視点から群集の特徴を解説する

.「その生活様式、職業、性格あるいは知力の類似や相違を問わず、単にその個人が群集になりかわったという事実だけで、その個人に一種の集団精神が与えられるようになる。この精神のために、その個人の感じ方、考え方、行動の仕方が、各自孤立しているときの感じ方、考え方、行動の仕方とは全く異なってくるのである(『群集心理』)。

・「孤立していたときには、恐らく教養ある人」であっても、「群衆に加わると、本能的な人間、従って野蛮人と化してしまう」メカニズムについて、フランス革命やナポレオン時代を分析しながら論証しているのだ。

・集団的精神の中に入り込めば、人々の知能、従って彼らの個性は消え失せる。そして、無意識的性格が支配的になるのである。(中略)群集は、いわば、智慧ではなく凡庸さを積み重ねるのだ」

・群集は興奮状態の後、暗示に導かれるようになる。フランス革命においても、ごく普通の労働者が虐殺に手を染めた。


大阪市立大学大学院准教授 海老根剛「群集・革命・権力ー1920 年代のドイツとオーストリアにおける群集心理学と群集論」より、ほんの一部引用

・ルボンはまた、群集化のプロセスの考察において、指導者と群集との関係の理論的なモデルを提出した。

・活動している群集の内奥にしばらく身を沈めた個人は、群集から発する放射のためか、それとも他の未知の原因によるのかやがて特殊な状態に、催眠術師の掌中にある披術者の幻惑状態に非常に似た状態に陥るのである。群集化した諸個人がいわば集団的な催眠状態に陥るならば、どこかに催眠暗示をかける存在がなければならない。

ガブリエル・タルドは群集(foule)と公衆(public)を区別する。群集が街頭や広場に出現し、集団で行動するとしたら、公衆はいわば不可視であり、つねに社会空間全体に拡散し新聞に代表されるメディア技術の媒介によって純粋に心的に構成される集団だといえる。

・共通の思考と感情に支配されるという点では群集と公衆は似ているが、そのような状態が生み出されるメカニズムは全く異なっている。

・群集が眼前の出来事と周囲の人間の動きに直接に影響され、暗示を受け取るのにたいいして、アクチュアルなニュースがその受け手におよぼす距離を介した暗示の核心は、その同じ情報が数百、数千万の人間によって同時に享受されているという幻想にある。

タルドは公衆の概念によって、ル・ボンの理論においてつねに混同されていた情動的な集合体と複雑な社会的メカニズムの所産として生み出される集団とを区別するとともに、群集論にメディアと技術の問題を導入した。

・群集が歴史上つねに存在したのにたいして、公衆は「印刷、鉄道、電信」の発達によって開花することのできた新たな現象である。それゆえ、タルドはみずからの同時代を群集ではなく「公衆の時代」と呼ぶことになる。

1920 年代のドイツの群集論の展開は、いわばル・ボン的な群集からタルド的な群集へのシフトとして特徴づけることが可能なのである。

<所感>
・マスメディアの強烈な影響下にあり、しかもマスメディアへの不信が拡大しつつあって、原発反対デモなどに参加する人が現れる現代日本おいては、ル・ボンの群集論とタルドの群集論(公衆論)の両方の視点を使用することが必要だと思われます。

・小生が「左右のイデオロギーを超えた日本民族としての立場が軽薄な感覚の背後にある」と感じたものは、ルボンとタルドの群集論の視点である程度解説できると思われます。 しかし、それ以外に「日本語、日本食、日本的四季のある自然」などに対する愛着から生まれる深層心理が民族的な立場を無意識的に強制するのだと思います。

・いずれにしても、オリンピック招致成功を肯定しながらも、翼賛体制が築かれる危険には強く批判しなければいけないと思います。