治療入院中のテレビ、新聞、読書の記録(2)

<印象に残った新聞記事>

毎日新聞特集ワイド(8月31日夕刊)上田紀行「現実はぐらかすな」

野田佳彦首相は関西電力大飯原発3,4号機再稼働を表明した直後の講演で「精神論だけでやっていけるのか」と反対論を一蹴。その発言に引っ掛かりを感じてきた。

・「3.11」以降、大地震が続発する可能性が懸念され、大飯原発の下には活断層が走っている危険性も。一方で国会事故調査委員会が福島の原発事故は「人災」と指摘したにもかかわらず、責任の所在は明らかにされないままで、原子力規制の新しい仕組みすらできていない。

・このような状況の中で、「再稼働は非常に危険だ」というのは紛れもない現実論ですよ。ところが野田さんは「ブラックアウト(停電)が起これば経済に大きな悪影響が出る」という部分だけを現実ととらえ、もう一つの現実は精神論だとした。

・この発言は、この国がこれまで何十年も経済成長だけを現実ととらえ、安全や事故対策を現実としてみてこなかったということ。だからこそ大[[]]事故が起きたのに、いまだに現実をありのままに見ようとしない。

・上田さんは震災直後に出した著書「慈悲の怒り」の中で丸山真男「軍国支配者の精神形態」という論文を紹介している。

東京裁判で戦争に反対したと言いながらなぜ指導者の一人になったのかと検察官に問われ、小磯国昭は答える。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見・議論は意見・議論として、国策がいやしくも決定されました以上、その国策に従って努力するというのが我々に課せられた従来の習慣であり。また尊重される行き方であります」。

・丸山はこう考察する。「現実というものは作りだされていくものと考えられないで、作りだされてしまったこと、いな、さらにはっきりいえばどこからか起こってきたものと考えられている。「現実的」に行動するということは、だから過去への呪縛のなかに生きているということになる。

・70年前、戦争に突入したときと、今回の原発事故で、この日本社会にどの程度の変化があったのか。その構造自体を見つめ直す必要がある。」

<所感>

・印象に残った新聞記事は、切り抜いた後時間を経て読み返せるので、ものを考える資料として貴重な素材です。

・「原子力規制の新しい仕組みすらできていない。このような状況の中で、再稼働は非常に危険だというのは紛れもない現実論ですよ」との上田紀行氏の視点に共感します。

小磯国昭が語った「日本人のものの考え方」は今の日本の組織運営にも大きく浸透しているように思えます。

・過去への呪縛で思考の自由を失った人が、新しい現実を受け止めて有効な対応を考えるためには、国策と決まったことであっても盲従しない人間(新しい現実を正しく認識し対応策を構築し実行できる人間)を育成する必要があります。

産経新聞 日本よ(9月3日) 石原慎太郎「金より先のものがあるはずなのに」

・最近国内外で頻発している異常気象、豪雨や豪雪は温暖化によって世界中の氷が溶けて海水の量が格段に増加してしまったせいに違いない。
・人間はだれしも目先の厄介に気をとられその収拾に腐心するが、もっと肝心な基本的なことには気づこうともしない。我々が気をとられやすい目先の物事の最たるものは何と言っても金、つまり経済であって、今日の世界的な不況、特にEU経済の混乱には世界中が周章狼狽ありさまだが、異常をきたした気象のほうがもっとっ根源的に人間的に人間の存在を脅かし経済をも破壊しかねないはずだ。

・温暖化の問題は一体今どこにいってしまったのだろか。昨年末のダーバンでの温暖化対策の世界会議での結論は4年後に新しいルールを作りさらに5年後にそれを実行にうつすという、馬鹿云々々しいものでしかなかった。その代り世界中の人間たちが腐心しているのは目先の金の問題でしかない。

・その一方で通常化した異常気象は今後もさまざまな水害に加えて、大陸型の農業を旱魃によって破壊し、大きな災害をこの地上にもたらし続けるに違いない。人間の力が及ばぬ自然を狂わせているのが、当の人間自身だということを、責任の転嫁の幅が大きすぎて私たちは認識できずにいるようだ。

・金、経済という目先の欲望が実は自らの生存を根底的に損なうという宇宙の摂理を、私たちはいつ誰のために悟り直しことができるのだろうか。

<所感>

・一部の人から右翼的人物とみられている石原慎太郎氏の新しい現実を見つめる視点の確かさに共感します。イデオロギー上の右とか左とかいう区分けは、21世紀の新しい現実を認識する場合邪魔になる区分けだと思います。

原発再稼働の人々は経団連の会長をはじめとして経済最優先の視点からの主張です。その立場を超えた石原慎太郎氏が、原発再稼働を主張しているのは不思議です。その論理構造を知りたいと思いました。