生産より生存条件 

今日の毎日新聞の夕刊を読み特集ワイドで、内橋克人氏の「生産」より「生存」条件という記事に大いに共感しました。今後のためにポイントを記録しておきます。

原発再稼働の決断を発表する野田首相の演説を聞いて
・首相は「私の責任」と言いましたが、これほど責任のない言葉はない。20年〜30年後、野田首相は政権にいない。さらに野田さんがこの世にいなくなってから生まれてくる命のリスクに、どう責任をとりというのでしょうか。

・首相は「国民の生活を守るため」とおっしゃった。生活というのは人間の命あってのことです.生命あってはじめて生活なんで、人間の命というものをリスクにさらしながら生活を守るということはあり得ません。この言葉の空疎さ。今ほど民意と政治がかけ離れた時代はないんじゃないですか。

・日本は依然として戦前と断絶していませんね。国民の合意なき国策決定のメカニズムも、階層社会と貧困も。

●民意と政治(ドイツ)
福島第一原発事故に素早く反応したのがドイツだった。大震災発生から2日後首相府に政権幹部が集まり、原子力政策についての対応を協議。翌3月14日には「原発維持」政策からの路線転換をメルケル首相自らが発表した。

・翌月にはエネルギー政策転換のため、有識者による倫理委員会を発足させた。委員はリスク社会論で世界的に知られる社会学ウルリッヒ・ベック氏ほか、政治、科学、哲学、宗教界などから17人。
メンバーには原子力専門家と称する人はいない。そして、その提言に数字はほとんど含まれていない。技術者が数字をもてあそんだり、一般国民にわかりにくい専門的な言葉で事実を糊塗するようなことは一切ない。

・国の未来を託された委員会は「安全なエネルギー供給に関する倫理」を論じた。何がきまったのか
「一言で言うと大きな判断基準、次の世代が人間として生きるにふさわしい条件を持続し維持させることができるか。そのために今生きている世代の責任とは何か、ということです」。報告書をまとめたのは昨年5月末だった。

●民意と政治(日本)
大飯原発の敷地内には、活断層の疑いのある破砕帯が通っていると指摘されるが、政府は専門家の
意見を踏まえた原子力安全・保安院の対策で「安全基準をすべて満たしていることが確認された」と言う。「専門家づらした無責任な知識人は、最も倫理から遠い人々なんです。再稼働は福島以後の研究成果をすべて無視した決断です」

原発再稼働と増税には根本的な矛盾がある。増税財政赤字のツケを次の世代に残さないために必要だというのでしょう。ツケを残さないと言いながら、原発から出る放射能廃棄物のツケはどうなのか。命をリスクにさらす問題では、これからもどんどん未来にツケ回しする。これはもう政治ではない。

●今考えるべきは生存条件
経団連が、エネルギーがなければ産業が空洞化するとか、国際競争力が衰えるというのは「生産条件を論じているに過ぎない。かっては生産力を高めれば人々の生活もよくなった。生産条件を上げれば生存条件もよくなる時代もあった。しかし21世紀の今、両者は対立するようになったんです。環境問題をみても労働問題をみてもそれは明らかです。

・野田政権の本質を「経団連かいらい政権」と断じる内橋さんは、これからの日本は「食料、エネルギー。福祉の自給をめざす地域社会をつくるべきだと話す。

・「被災地を含む多くの地域で取り上げてくれるようになりました。この三つを地域経済の中で循環させていくことで。十分に生きていける。原発がなくてもやっていけることは、全原発が停止した5月以降証明されている。電力会社の利益確保と経済界の要求に従うことはないんです」。

<所感>
・消費税増税を推進しながら整備新幹線に多額の予算をつけたり、第三者による安全委員会の設置と安全基準の制定を待たずに、旧来の安全保安院による安全保障で大飯原発再稼働を決断したりする政治状況を踏まえて、説得的に批判を展開する視点と論理だてに敬服しました。