法隆寺参観の和歌に触発されて
家内の友人やまさんから、法隆寺参観の際に詠まれた「いかるがの幻想」と題した和歌13首を見せていただきました。
小生も法隆寺には参観のたびに感動するものがありましたが、その感動を表現することができませんでした。
やまさんの和歌という方法で表現されたものを拝見し、その感性と和歌というものの表現力に感銘しました。拝見した13首の和歌のうち、最も印象に残ったものは次の和歌でした。
夢殿の厨子に孤立す観音の万古不易のつよき眼差し
亀井勝一郎氏は著作「大和古寺風物詩」で、救世観音について「静謐な姿勢をとっているがどこかに凶暴な面影を秘めて、なにかを懸命に耐えているような趣がある」と述べています。
梅原猛氏は著作「隠された十字架」で、「藤原全盛の時代に聖徳太子の祟り(大子一族は罪なくして藤原氏に滅ぼされた)をしずめるべく作られたのだ」と述べています。
高村光太郎氏は、「仏師は太子をお作りするつもりで夢中でかかりきりで、一気苛成に作った」と述べています。
(以上3人の識者の見解は、「美と史への巡礼」という畑中徹氏のブログからの引用です。畑中氏のブログは素晴らしい内容がいっぱいでした)。
さて、やまさんは、聖徳太子の霊を鎮める為に作られた救世観音の眼差しに、万古不易の強さを感受されて和歌に詠まれました。
小生は以前岡野守也著「聖徳太子一七條憲法を読む」を学んで、十七条の憲法の内容に感動した経験があります。
7世紀初頭の圧倒的な中国からの文化、学術、技術の日本への流入に対しそのまま受け入れるのでなく日本流に取り入れ改善し、日本という国づくりの精神的土台をつくられた偉業は、現代においても日本再生の指針となるべきだと思っております。その意味で万古不易の精神が、救世観音の姿に具象されていることは自然なことだと思います。
やまさんが感性で感じ取ったことを詠まれたことと小生が理屈で学んだことが一致していることに驚いています。千数百年前に仏像に具象された聖徳太子の精神のしからしむことでしょうか。
和歌の表現力に敬意を表して、やまさんの和歌の一部を記します。
列柱の影濃く連なる回廊の秋のひかりに韻をふむべし
ふたたびを百済観音に真向かえへばおのずといづる感傷のあり
風鐸の垂るる明るき秋のそら法隆寺の鐘かろく鳴りたり