遊行期の生き方を考える(4)

五木寛之著「天命」から強く印象に残った部分を引用します。

●死をどう受けとめるか。そして自分の死にどういう立場をとり、準備をするかという問題ほど複雑で難しい問題はないように思えます。。しかし私たちは、どうしてもその問題ととりくまなければならないのです。「死」が見えてくれば、今自分が生きている「生」、「命ということ」というものが見えてくるのではないか。そう思うからです。

●死ななくてもいいような人が先に死に、罰を受けるべき人がのうのうと生きているではないかということに、納得できない人は多いのではないか。なぜ特定の罪も犯していない人が先に死ななければならないのか。この「不公平感」を納得させる言葉はどこにもありません。それが自分の死ならなおさらです。

●宗教の論理では、「その痛みを感じていることがあなたの幸せなのだ」という逆説的な言葉を用意しています。苦しみは天の与えた試練であり、救いの道に到れるのは多くの苦しみを背負った人からであるということでしょう。

●私は「世の中は本来不公平なものだ」というふうに考えます「不公平で残虐である」と。それこそが正常であると。終戦後の朝鮮半島からの引き揚げのときに、どんな人が生き延び、どんな人が先に亡くなったか。それははっきりしているのです。優しい人が先に死んだのです。強引で力の強い人が生き延びたのです。(五木寛之氏は朝鮮からの引き揚げ中に、善良な母や弟の死をみつめ、自分はずる賢く生き延びたという体験の持ち主です)。・・・その考えは次第に生き延びている人間全体にたいし、その生存に疑いの目を持つようになりました。若い頃死者の血の上に生きている自分の存在を許し難く、自分の命を絶とうとしたこともありました。

●私は現代が、終戦直後の極限状態とは全く別のものとは思えません。現代でさえ、私たちは例えば家族をまもるために、ささやかな幸福のために他人を蹴落とし
場合によっては武器を使ってさえ生きているのです。・・・生きるためわれわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、浄土へ往けるといったのです。(「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」)

親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのものです。「悪」というよりも、こころに大きな悲しみを抱いて生きる人たちです。・・・「善人」というのはお布施をし、立派な行いをしているといって胸を張っている人たちです。親鸞の言っている悪人というのは、悪人であるということの悲しみをこころのなかにたたえた人ということなのです。『歎異抄』にあるのは、無限の悲しみです。そこにふれるとき、私たちの関係している小さな悲しみは、その大きな悲しみに包まれます。悲しみにたいするものは悲しみなのです。・・・人がおのれの無力さを痛感したときに生まれるものが「悲」という感情であり、この感情は仏教では非常に大事なものとされてきました。

ブッダの死の様子は、「涅槃図」という絵でもあらわされています。ブッダは、自分の周囲の町を、風景を、そして人々を、喜びとともに讚美します。その美しさを、楽しさを。・・・この世には生きる意味がある。生きる価値がある。その確かな自覚。ブッダは死の瞬間に、それをはっきり見たように私は思います。光に満ち、苦しさも、憎しみももちろんない、美しく仏教の「無常」の概念を超えた「永遠」に光輝く世界です。・・・それまで、ブッダは世界が無常であり、空であると悟っていた。だから「色」は(実体として)存在しない。意味がないという道理でした。なのに色(物質)もまた、こんなふうに美しいと思わざるをえなかった、というように読むことができると思います。色即是空をつらぬけばそうは感じないはずなのに。

●天命とは一体なんでしょうか。この宇宙の、ありとあらゆるものに作用している力がある。人間も、森も、海も、草も、虫も、すべてその力の影響をうけて存在している。天命を知るということは人間にとって不可能なことです。しかし、この自分の命が、ただ自力で生きているというだけでなく、何か大きなものの一部として生かされているという感覚が「天命を知る」ことなのではないでしょうか。・・・運命と、天命とはどこか大きくちがうように感じます。運命はどこか一方的な受身の考え方ではないでしょうか。天命は、すすんでそれを肯定する。認めて参加する感覚があります。それは、信じること、といってもいいかもしれません。

<所感>
・平成17年9月に東京書籍から発刊されていますから6年ほど前の五木氏の考え方ですが、遊行期の生き方を考えるとき大変参考になると思いました。特に論理で考えるのではなく、「感じる」「信じる」という言葉があちこちで使われていることが強く印象に残りました。

・通例の病院では治療法がないというのが常識であった難病に罹りましたが、数年前からその病気の治療法が海外で開発され、日本でも改良が進んでいました。その先端を歩んでいる病院の先生にご縁ができて治療を受け、根治はできませんが症状悪化を抑制できる治療が成功して、現在無理はできませんものの普通の日常生活が送れています。患者の先輩の話では、この病気の治療法のこの1年間の進歩は過去に比べて段違いに目覚しいようです。これは有難い天命だと思い、救われた命を無為に過ごしてはいけないと感じています。

・私は「(日本の)現代が終戦直後の極限状態とは全く別のものとは思えません」との五木氏の考え方をもう少し丁寧に考えてみます。敗色濃厚となった戦中後半から終戦直後の極限状況を「激変期」と規定し、一億総中流社会が曲がりなりにも形成された高度成長からバブル時代までを「安定期」と捉え、その激変期と安定期の両方の中間を中間期と規定し、中間期の前半を「不安期」後半を「変動期」と認識することが必要だと思います。
・不安期と変動期は激変期の様相と安定期の様相が入り交じる時期だと思います。不安期では安定期の様相が色濃く停滞し、激変期の様相が一部分に発生する状況だと思います。そして、変動期では激変期の様相が強まるもののまだ安定期の様相が一部分残ると理解します。
東日本大震災原発災害によって、東北地方は激変期と変動期が入り交じり、首都圏はまだ不安期の様相のようです。しかし、日本全体もやがて変動期に入り、近い将来激変期を迎えるのではないかと思います。

・多くの国民や政府・行政のリーダーたちは、まだ安定期の様相から脱却していませんから、日本社会は激変期に適合した対応が出来ていません。他方、世界経済の産業化推進は地球の限界を超えていくようで、国家間の資源争奪戦は近い将来極限状況を引き寄せるおそれがあります。そうした時代の中で、身体の衰えが顕著となり死が近づく遊行期を迎える者として、激変期を踏まえた五木氏の思索と言葉はたいへん示唆に富んでいます。