遊行期の生き方を考える(3)

今年85歳の三浦朱門氏の著作「老いを愉しめる生き方」の第12章「老いぬれば」から共感した部分を引用します。

●身体は三週間使わなければ、能力を失う。しかし記憶力は三十年使わなくとも、ちゃんと機能してくれる。老いは身体からであって、頭からではあるまい。しかし、絶えず知力を使っていく必要はある。体力や社会的地位、人間関係の変化につれて知力を調整しておかないと、問題が生じてくる。

●そもそも定年というのは、知力の衰えよりも、体力の衰えが決定的理由になる。・・・普通の状態での能力は若い者に負けない。経験と知識があるために有能ではあるが、イザというときの踏ん張りがきかない。こころは素晴らしいアイデアを思いついても、それを実現するには体力がついてゆかない、というのが老いるという現実なのである。

●昔のインドには家庭にいながら出家するという慣習があった。しかし、今の日本でも老人になったら家庭内出家すべきである。家族の基本的な問題は息子の意見と判断にゆだねて、自分はそれを実行する形にする。どんな判断にせよ、それを実施するなら体験豊富な老人のほうが若者よりも巧みということもある。

<所感>
・いざというときとは、短期間に現状を分析して実施計画を決め、その計画をテキパキと推進しなければならず、老人にとって最も苦手な持続的集中力とスピードが求められる局面といえます。老人はそうした局面では役にたてないのだという現実を厳粛に踏まえて、よく老いる生き方を歩まなければいけないと思います。

・スピードと集中力は欠けているが体験は豊富でまだ精神力は衰えていない老人が、よく生きる道とはどいうい道でありましょうか?

・老人は趣味に生きるのが一番というのが大方の常識です。自分のことを顧みると、古希まで仕事人間で過ごしました。その後は、学生気分でいろいろな分野の学問を学ぶというのが趣味なので、そうした老後生活を続けたいと願っています。(普通の老人とは異なる風変わりな老人の一人です)。
この趣味は自分の満足につながりますし、病気の影響が現状維持で今後も学習を続けられ、観察者としてのその記録が、多少なりとも世のため人のためにもなれれば、望外のよろこびです。