病人の年末生活あれこれ

年末一週間入院し26日に退院しました。治療の効果がでて、先生からは「長い目でみましょう」という言葉をいただきました。まだ当分の間普通の生活を送れるようで、有難いことです。

●K先生への報告と感謝
・最初の病院の治療に不信を抱いて転院したH病院のK先生がこの病気を疑い、現在のS先生に紹介状を書いていただいたのが、命を救われる発端でした。S先生の診断、治療のおかげで現在があります。年の終を迎えて、まずK先生にその後の報告と感謝の言葉を述べるため、お会いしました。


入院中は服薬と点滴の副作用で身体的にはやや苦痛でしたが、テレビ・新聞・読書漬けのため、精神的には充実した時間を過ごしました。共感した見聞の一部と所感を記録しておきます。 

●12月25日TBSテレビ「3.11映像の記録」
・大津波と襟を正して拝見した現地の方々の生きざま、原発事故と当事者の対応、中央政府のだらしない実態を見て、こうした放映をTBS放送が実施したことに敬意を抱きました。政治・経済の硬い情報は、本来公共放送のNHKが放映すべきだと思いますが、戦争中の大本営発表の伝達機関と似たような気配なので、無理なのでしょう。

原子力安全委員会斑目委員長の「2号機や3号機やいろいろなことを考えていて、水素のことは頭に浮かばなかった。申し訳ない」という発言が放映されましたが、これは日本の原子力安全行政の組織的劣化を象徴する発言であり、真実は隠蔽されてはいけないと思います。この発言はNHKならばおそらくカットされるでしょう(水素爆発瞬間の白煙は民放が放映し終日連続的に放映しましたが、NHKは終日放映しませんでした)。

●12月26日TBSテレビ「天国の母へ・・・浅田真央
・母をなくした真央さんが悲しみを乗越えて全日本選手権で逆転優勝を成し遂げました。その滑る姿、終わったあとの久しぶりに見た会心の笑顔にほっとしました。

・「母も喜んでいると思う。今回も本当に一番近くにいるような感じがした」との真央さんのコメントをきいて、「幽明異にしても存在は消えない」ということは当方も実感しているので、おおいに共感しました。


曽野綾子著「晩年の美学を求めて」(再読して重要性を見落としていた記述)
・老年に関する研究は最近たくさんでるようになったが、晩年の研究はあまりない。晩年は当人にいつが晩年かわからないからだ。二十歳が晩年になった人、五十歳で晩年を迎える人もいる。

・木喰上人は、八十三歳で日本廻国を果たした後、故郷の山梨県身延町で四国堂をつくり八十八本尊を彫って収める計画を立てた。亡くなったのは九十三歳だった。

<所感>
日野原重明先生は、自身が提唱された新老人の会の講演で、「75歳以上の老人は最後まで目的を持って生きてこそ輝かしい人生です。それには、今までの人生とは全く違ったことに挑戦しては如何ですか・・・「私は、八十九才にして初めて舞台脚本を書いたのですよ」と発言されました。また、著作「死をみつめて今を生きる」の結びで「どうよく死ぬかは、その前のどうよく生きるか、どうよく老いるか、どうよく病むかにつながっているものです」と述べています。

・日野原先生の提唱する生き方は木喰上人の生き方と同じようであり、曽野綾子氏が考える晩年の生き方(老年の生き方ではない)とも共通する発想だと思いました。また死の自覚を迫られた人は、年齢に関係なくこうした考えに基づいて、どうよく生きるか、どうよく病むかを考えるので、晩年を生きることになるのだと思いました。