定期入院中 宮部みゆき著「お前さん」で楽しみました(1)

3回目の治療入院が終わりました。今回は母べえに勧められて、今評判の時代劇ミステリー小説を読んで見ました。面白くて為になり湯上り気分になりました。
次々に起こる殺人事件の犯人探し(経過が面白い)を横軸に、登場してくる人物たちの生きざまを読みながら好奇心が沸き上がりました。
登場人物がどうしてこんな行動になるのかを考えることも楽しかったです。読みながら考えたことを母べえに話したら、パソコン仲間にブログに書くようだと宣伝され困っています。たいした考えではありません。

例えばこんな話が面白かったです・・・

●二番目の殺人事件に絡んで登場してくる空き樽問屋玉井屋主人の千蔵は、おかみを取っ替え引っ替えしている。ただの女好きとは違うようだ。気の強い母からあてがわれた嫁との離縁が2回続き、母親が死んだ後、料理屋で仲居のおさよと出会い囲った。(おさよとは後に手を切り別の女をおかみに据え、更にそのおかみとも別れ話がでる)。
さて、おさよは安穏な暮らしを手に入れた。おさよは別の女になるようだった。番頭は「おさよさんは主人を仏様のように拝んでいた」という。2年半後、いきなり手を切ると言い出した。番頭がおそるおそる主人に訊いたところ、主人は「もうつまらないんだよ。おさよは昔のように感謝を口にすることもない。このごろは文句が多い・・・」。

●千蔵の趣味は女を拾って仕立て直すのが趣味なのだ。生活苦に喘いでいる女を、貧の中から拾い上げ、金と気遣いを与えてやれば、みるみるうちに女は生気取り戻し、美しくなる。生き生きとしてくる。その様を眺めるのが千蔵の趣味なのだ。そうした趣味は男ならみんな持っている。だがしかし、千蔵の場合はそれだけではない。千蔵は誰にも仰がれることがなかった。そんな千蔵が、女を拾って尊敬されるという味を覚えた。これは病みつきになる。しかし千蔵が勝ち得た尊敬は、不変の感情ではない。女の尊敬は女を豊かにしてやったことだけから湧き出している。金で買える恩を売ったから、女は対価として尊敬を売り返してくれたのだ。二人の親しみが慣れに変わってくると、女の有り難みは減る。だから千蔵は女を取り替えるのである。


<理屈好きの小生が考えたこと>

▲千蔵とおさよの行動は作者の宮部さんの上記の解説で理解できます。しかし千蔵の勝ち得た尊敬を支える女の有り難みがなぜ減るのかの説明が単純すぎるように思います。日常感覚的には当たり前なので説明の必要はないようですが・・・。女の有り難味がなぜ減るのかを経済学と心理学の教えから説明すると、二人の関係の変化をより深く理解できると思います。文学者が造形した人物の動きを十分理解できないときには学問の力を借りるといいのではないかと思います。

▲経済学的視点では、人の欲望を満たすモノとサービス(効用)は例えば同じ一杯の水でも、最初の一杯は効用が高いですが、二杯目以後は効用が減少します。これを限界効用低減の法則といいます。おさよが昔のように感謝せず文句を言い出すのはこの経済学的法則で説明できます。

▲心理学の視点では、人の欲求は五つの段階で発達します。まず第一は生理的欲求です。それが満たされると第二の安全の欲求が起ります。
第三に社会的欲求(人と交流する楽しみへの欲求)が強まり、第四に尊厳の欲求(人から認められ尊敬されたい欲求)、五番目に自己実現の欲求(自分が本当にしたいことに専念できる欲求)という具合に欲求が変化していきます。(マズローが唱えた欲求五段階説)。
千蔵は欲求の質が高まり、金で買える恩に対する女の対価として尊敬では尊厳の欲求が満足されないのです。だから千蔵はさえと手をきることになります。

▲「おまえさん」の後半部分で、全編を通じて活躍する町同心・間島信之輔の大叔父本宮源右衞門のことばが書かれています。「何をどうすればいいかわからぬときは、学問するのが一番よろしい。学問に励むならば、人というものの胡乱さ、混沌の深さがわかってくる」。
小生はこの言葉に大いに共感しました。作者の宮部みゆきさんは、単なるミステリー作家や時代小説家ではないようで、小説の人物造形の背景に相当な学識を備えているように感じました。日本の女性も続々と優れた方が世に出ていますね。

▲「お前さん」を読んでいると、人間の生々しい生き様が上手に描かれ、凡夫として煩悩に踊らされている姿を実感し、こころの緊張がほどけて湯上りの気分となります。