定期的入院中の見聞録(2) 五木寛之著「林住期」再読

五木寛之著「林住期」を再読し自分の林住期をふりかえる

●高齢化した現代人の四住期

▽学生期 (0〜25歳)
・心身をきたえ、学修し、体験をつむ。

▽家住期(25〜50歳)
・就職し、仕事に励み、結婚し、家庭をつくり、子供を育てる。

・多くの人は自分の望む職業につけるとは限らない。むしろ生活のため、家庭や身辺の事情で職をうるのである。
 
▽林住期(50〜75歳) 
・生活のためでなく生きる(真の生き甲斐を探す)。真の生き甲斐は必要ということから離れ、興味によって何事かをするということにある。

・やることを変えても良い。おなじことを続けてもよい。目的を変えることだ。仕事を続けても金を稼ぐためでなく道楽として続けるのだ。

・林住期に金を稼ぐためでなく生きるということは、自分が自由になると同時に世のため、人のために生きるということでもある。

・人間は国家や社会制度に貢献するために生まれたのではない。子供や妻や家庭に奉仕するために世にでたのでもない。家住期に十分義務をはたし終えた人間は、今度は自己本来の人生に向き合うべきだろう。  
                       
・気力と体力があればさらに十年延長してもよい。

▽遊行期(75〜100歳)
・死を穏やかに受け入れられるよう、自らの死に方について考える。
 
              
<所感>

●自分の人生を振り返る

▽学生期 (0〜23歳) 
・心身をきたえ、学修し、体験をつんだ。

▽家住期(23〜61歳)
・職業はこころの生活と一致するものを選ぶこと(阿部次郎)という言葉に共感したものの実行できず、生活の安定を求めてサラリーマンとなり、定年までその道を歩んだ。
 
▽林住期前期(61〜77歳) 
・個人営業の経営コンサルタント業を続けたが、「林住期に金を稼ぐためでなく生きるということは、自分が自由になると同時に世のため、人のために生きるということでもある」という理想論の片鱗に触れることができた。

・「人間は国家や社会制度に貢献するために生まれたのではない。子供や妻や家庭に奉仕するために世にでたのでもない。家住期に十分義務をはたし終えた人間は、今度は自己本来の人生に向き合うべきだろう」の表現に共感。                          
 
▽林住期中期(77歳〜82歳)
五木寛之流表現の「道楽」として、仏教・哲学・社会学・人生の意味・日本再生の展望などのテーマに取り組んでいる。
              
・入院が必要な病気を発症したが、名医に出会えて治療法が確定し、定期的な治療のための入院以外は、家庭で普通の日常生活を送れている。しかし昼寝や夜間の長期睡眠時間が必要であり、無理が効かない体になってしまった。
              
▽林住期後期(82〜   )
・平穏な時間がまだ与えられている間、真・善・美を賞味する林住期後期の人生を続けながら、いよいよ遊行期に入る準備が必要のようだ。
        
・身辺整理に取り組み始めたが、たくさんの作業時間が必要なことがわかった。お迎えがくるのはまだ数年先と楽観視しして目下亀の足取りだ。

▽遊行期(82 〜 歳)
・死を穏やかに受け入れられるよう、自らの死に方について考えはじめる。