定期的入院中の見聞録(1) 城山三郎氏の生き方

病の治療法実施のための定期的入院の第一回目を終え、副作用も殆ど無く無事に帰宅できました。一週間の入院中は余裕時間がたっぷりあるので、新聞・テレビ・インターネット・書籍からたくさん情報を見聞しました。共感したものを記録しておきます。

城山三郎の生き方・発言(NHKK教育テレビアーカイヴ放送「城山三郎・“昭和”と格闘した作家」から)

●天心爛漫で明るい容子夫人と周囲の反対を押し切って恋愛結婚した。「妻子を養い守ることが第一、しかし文芸や天下・国家に対する情熱は失わない」。

<所感>
・戦中、戦後の重大テーマに正面から挑んだ作品(「指揮官たちの特攻(特攻隊司令官と最期の特攻隊長が主人公)」「官僚たちの夏(高度成長期の通産官僚が主人公)」「落日燃ゆ(戦犯の広田弘毅が主人公)」などの重いテーマ(組織と人間)を、膨大な資料を踏まえて書き続けた城山三郎ほどの一流人物が、「妻子を養い守ることが第一」と発言していることに共感しました。

・良くてもせいぜい二流の小生は「親や妻子を養い守ることが第一」として青年時代の発想を封印し、定年後にその封印を解いたものの、老化や病気療養生活のため、有意義な仕事を完成することが困難です。

・妻子をしっかり養い守りながら、文芸や天下国家に対する情熱を失わないどころか、その情熱を有効に発揮した城山三郎氏の生き方にあらためて感銘しました。小生などとの器の違いを実感し、あらためて城山三郎氏を尊敬しました。


●国のために海軍を志願、非合理的な精神主義教育に違和感を抱き、敗戦で価値観を大転換した。「旗はいらない、旗をおろせ 」(個人のいのちが第一)。
 
<所感>
・国のためという価値観から個人のいのち第一へと転換しましたが、放送終了後に評論家が「3.11以後に城山氏が生きておられたらきっと書かれる内容は変わったと思う。3・11以後は第二次大戦と似たような不安な時代のはじまりと言える」とコメントしていました。

・小生はこの評論家のコメントに共感しました。そして城山三郎氏が生きていればきっと「新しい旗を探せ、新しい旗を揚げよ」と発言すると思いました。(戦いの時代に入ると組織がなければ
厳しい戦いに勝てないし、個人のいのちも守れないからです。戦争中の日本のような滅私奉公と違う、個人のいのちを守ることと国家存続のための奉公とが両立し相互促進できるような旗を探し、そうした旗を掲げたいものです。