難病に直面して体験したこと

昨年夏からはじまった腸の疾患で2度入退院を繰り返しました。4月の末に縁あって新しい入院先に転院し、2週間以上に亘る検査を踏まえて、5月30日に担当のK医師から想定外の難病であることを宣告されました。

「この病は消化器以外にも発症する可能性があり、まだ有効な治療法が確立されおりません。紹介状と資料を用意したので、この病気の研究で著名な日赤病院のS医師の診断を受けなさい」と言われました。

インターネットで日赤病院のS医師の診察日を確認し、翌日の5月31日に診断を受けることができました。
S医師から「採血、骨髄穿刺、心臓超音波などの検査の結果を診たうえで治療方針を決めますので、6月10日に来てください」と指示されました。

「この病気には有効な治療法が無いようですが?」と質問する小生に対し、S医師がしっかりした声で「治療法はあります」と言われました。その一言はまさに地獄のなかでの仏の一言でした。

日頃、人生の四苦八苦(生・病・老・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)は、自分の力ではどうにもならないのだから、どうにかしようと執着する姿勢を捨てるよう修行することが大切であるとの仏教の教えを学んでおりますが、いざ治療法が確立されていない難病に直面すると、何とかしてほしいとの執着心が強烈に湧き起こります。S医師の「治療法はあります」の一言はまさに仏の一言に聞こえました。

「治療はありません」と再び言われることも想定して身辺整理を始めていましたが、身辺整理作業は意外と時間がかかると閉口していました。S医師の一言で余命はまだあるという気分から、かえって身辺整理作業を行う気力が湧いてきました。

難病と判明以来、学生気分で取り組んできた日本再生のテーマについては、明日をも知れぬ身体の持ち主では提言に責任を持てない以上世間に発信する意味はないと感じて取りやめておりますものの、福島原発東日本大震災の深刻な現状と政治リーダー達のだらしなさに、何とかならないものかともどかしさを抱いております。

しかし、明日をもしれぬ病人の生死の道は、まず身辺整理からと心得て毎日を過ごしております。