あの日から1カ月

3月11日、大地震・大津波原発事故の三重苦が同時に押し寄せた東日本大震災から1か月経ちました。その間の1か月は危機の新時代が到来した日々でした。今も続いていますが、1か月経ったところで、振り返ってみます。

東北3県と茨城県で3万人近い方々が、亡くなりあるいは行方不明となりました。、家族の方々の悲哀の姿がテレビで放映されました。ご遺体を探し続ける姿、火葬が不可能でやむなく土葬で合掌される姿、死というものが目の前に迫った日々でした。

1000年に1度という物凄い津波の襲来、人々が長年住んできた集落があっという間に瓦礫の山、この光景は戦争中の大空襲で体験したシーンと同じでした。

福島第一原子力発電所では電源装置が津波ですべて失われ、冷却不能となって自衛隊・消防隊の決死の放水にもかかわらず水素爆発が起こり、やがて放射能汚染による避難地域の拡大、汚染された水の海への放流という事態となり、いまや再臨界の危惧が語られています。

まさに危機の新時代が到来しました。帰宅難民となった程度の被害で済んだ首都圏内の人々の生き方にも大きな変化が表れていました。平和ボケ的な新聞論調も様変わりとなりました。社会の空気が変わってきました。軽薄なお笑い番組に占領されていたテレビで「こころは見えないがこころがけは誰にも見える。その思いを形に」といった公共広告が盛んに放映されました。戦争中は中学生だった小生が体験した昭和19年から20年にかけての社会の空気を思い出しました。

そのためか、この1か月は大震災と危機の新時代をめぐって、思索を練る日々に専念することになりました。その内容はもう一つのブログに記載しています。  http://blog.goo.ne.jp/isoroku-hitoshi

この間、母べえは相変わらず鳥撮りに専念した毎日でしたが、それはそれで幸せなことで有難いことだと思います。
気がついてみると家の前の桜並木は満開です。ようやく写真を撮りに散歩に出かける気分になりました。