巨大地震の余波を体験する

会社時代の友人からお誘い電話があり、橋本駅で待ち合わせてmeweビル6階の喫茶店でよもやま話をしていました。
突然椅子が揺れて、周りの人たちが騒ぎはじめ、店のレジ横に陳列されていたグラスや飲料瓶が落ちて破片が飛び散りました。これはいかんと椅子の下にもぐりました。
しかし二十数年前の仙台地震の時、東京駅近辺のビルで体験した状況と似ていたので、「まあ震度5くらいかな、東北かどこかが震源地でそのあたりは大変なことだろう」と思いました。
ところが電気が消え、ビルの守衛が現れて「みなさんすぐに徒歩で階段を下りて、ビルの外へ避難してください」と叫びましたので、えらいことになるかなと思って階段を下りて外へ出ました。 
外へ出ると多くのビルから排出された大勢の人が不安そうに立ちすくんでいました。駅の構内には入れないよう縄がはられ、JRは運転再開は当分見込めないとなっていました。
余震が次々と揺れ、街灯が左右に大きく動き、一部は頭部分のガラスが砕け散って落下しました。駅はずれにトイレがあるだろうとの予想が当たり存在していたので、小水が近い身として大助かりでした。3時過ぎごろから2時間ばかり、冷たい風がないところを選びながら移動し、よもやま話の続きをしました。
夕闇が迫ってきましたが、JRは終日運行しないとの情報が入り、相方の住居は神奈川県にありますがタクシーで帰るかと言いだし、タクシー乗り場へ向かいました。しかし、延々長蛇の列でした。バスを眺めると、多摩境駅経由町田行があったので、これに乗って町田まで行けば小田急が動くかもしれないし、小生は多摩境で降りて徒歩で帰れるとして、乗ろうとしました。
けれども行列が長く乗れませんでした。次の町田行を待ちましたが、今度の町田行は多摩境経由でないので、小生は乗れませんでした。相方は「では」と手を振って乗り込みました。(翌日電話したらその後何とか家にたどり着けたようです)
小生はタクシー乗り場へ引き返そうとしたら、なんと南大沢行のバスが現れました。そんなバスがあることを知りませんでした。経路は大回りですが、終点は南大沢駅なので助かりました。
家にたどり着いたのは午後8時半頃でした。行方不明と心配していた母べえに叱られました。
娘や孫も心配し、孫からはメールが入っていましたが、後で気が付きました。携帯はつながらなくても、メールは時間の遅れがあっても有効に到着するのだということを知りませんでした。
橋本あたりでこのような体験でしたので、もし新宿だったらもっと大変だと思いました。
こちらが心配していた孫たちは、幸いこの日は早く帰宅していたので、難民にはならなくて済みました
東京の人々は難民になる程度で済みましたが、テレビや翌日の新聞で東北の惨状を知り、被災地の方々のご苦労に胸が痛みます。