自利利他の教えをめぐって

昔は「世のため人のために尽くのが立派な人」と教えられてきましたし、建前としては今でもそのように行動すべきだというのが一応社会の常識です。
しかし、腹のうちでは「まず自分のため」「世のため人のためは偽善的な生活技術として活用すればよい」というのが、多くの人々のホンネの心境ではないでしょうか。

余生いくばくもない年齢となり、こうした偽善ではこころが落ち着かないため岡野守也先生の研究会で大乗仏教を学んでいるところですが、「自利利他円満(自利利他循環)」という言葉に出会って、目のうろこが取れた心境です。


●「利己主義は自他ともに傷つけて、自己を利することができず、他者のための自己犠牲には無理がある(長続きしない)。自利利他の好循環こそが、有効妥当な幸福の道である(岡野)。

インターネットで自利利他を検索し、起ー動線というブログで、次の言葉を発見し、同じことを考える人がいるものだと感銘しました。

●適正に自己中心的であることは、最終的には、自己を超えたもっと大きな目的を見出すことによって、自分自身を最大限に活用するという責任を受け入れることだ。自分自身を超えた目標をめざすとき、自分自身をもっとも満足させることができるというのは、快楽主義の逆説である。(p15)
― チャールズ・ハンディ 『もっといい会社、もっといい人生―新しい資本主義社会のかたち』 

●自分のやりたいことを突き詰めていくと、それが自分の中では完結しないことに気づく。やりたいことに挑戦し、他人に認めてもらったり感謝されたりするサイクルに生きていく中で、自分より大きな何かに貢献することが、究極の快楽であることを知る。つまり究極の自利とは、利他である。ハンディはそう言っていると理解しています。

快楽主義の逆説という表現にも感心しました(isoroku)。