「日々是好日」再考

 臨済宗ホームページの禅語欄で、風流な生き方を支えるキーワード「日々是好日」をクリックして、喝を入れられた気持ちです。ポイントをご紹介します。

●台風で屋根は吹っ飛び、子供は流された・・・。そんな場合でも「日々是好日」という心の持ちようで解決できましょうか?偉い大師様が云う「日々是好日」とはそのような極端な不幸をも計算に入れた言葉の筈です。
●どんな災難が湧き起こっても素直に受けいれられる心、そんな心が自覚できませんと、軽々しく「日々是好日」などと大口は叩かれません。

 どうやら「日々是好日」の言葉を普通の心境で理解する程度では、不足や苦痛に直面しても、それを楽しむような風流な生き方はできないようです。
 そこで考えました。せめて小さな災難程度ならば、不足や苦痛を楽しめるような生き方をまず心がけたいと。

 ところがこの文章を見て、我が家の母べえは「そんなのは風流とはいえない。小さな災難程度であっても、悲しみこそすれ楽しむなんて普通の人間では考えられない」と反論しています。
 
 
  臨済宗鎌倉建長寺