娘の義父さんの告別式

12月4日は娘の義父さんの告別式でした。長く闘病生活を送られていましたが、意識がなくなったあと安らかに亡くなられたようです。もう後2日で90歳になられるということでした。シベリア抑留という過酷な人生を克服されて、現役時代は治安の一翼を担って10年ほど前には叙勲の栄誉をいただきました。

自宅療養ができなくなってから、かかりつけの病院のお世話で、1〜2回の転院のあと治療と介護が充実したホスピス的な病院に入院できたことは、義母さんや婿さんそして娘など、見守る家族たちにとってありがたいご縁でした。婿さんの努力の賜でしょう。

義母さんが最後まで殆ど毎日病院に出かけられて義父さんのそばに付き添われたそうで、告別式でお目に掛かった時には普段よりやつれたお姿でした。

私どもも高齢期に入り末期の過ごし方を真剣に考えなければと痛感しますが、最後の病気がどういうものか不明なため事前準備ができない問題であり、介護病院の良縁を祈るばかりです。

12月3日のお通夜には、小生は夜間外出が肺炎の危険があるので遠慮しましたが、義父さんの出身地である福島県の親戚の方々がマイクロバス1台貸し切りでご参加されたようで、地方の共同体的な姿がくっきりと描き出されました。告別式の葬儀場は宿泊場所もあって、親戚の方々は葬儀場の宿泊施設に泊まられたようです。いまの葬儀場は便利になりました。

わたしどものような東京や神戸生まれで、各地転々のサラリーマン人生を送った人間は、地方の共同体生活とはご縁がないので、自分たちは小規模の身近な家族葬でいいなと話し合いました。

告別式は通常の仏式で行われましたが、従者2名を従えた僧の読経と鳴り物は立派でした。祭壇に婿さん勤務の横浜市長や家族たちの名入り花輪が飾られ、会場入り口に故人の元気な姿の5枚の写真を上手に編集した額入り写真が飾られていました。(これはすばらしい企画です)。葬儀の一連の流れを見て、婿さんの葬儀者との事前打ち合わせのご苦労を感じました。

葬儀が終了した後、湯灌をして納棺された故人の周りに、祭壇に飾られたお花を参列者がお供えし、最後に義母さんが故人の額に触れる仕草に涙しました。

焼き場に移動して昼食をすませるとお骨あげの儀となりました。骨壺に入った姿が人生の最後です。自分たちもこのようにして最後を過ごすだのだと思いました。

それにしても終活にが全然できていないことに反省です。(近所の葬儀社の互助会には入っていますが)。