永遠のゼロに大感動

やまさんお勧めの「永遠のゼロ」を読みました。
小学6年生のときに太平洋戦争(大東亜戦争)が始まり、中学2年のとき映画館のニュースでソロモンの海航空戦とゼロ戦の活躍に夢中となり、山本五十六戦死に衝撃を受け、中学3年生の秋には神宮外苑で実施された学徒出陣壮行会の分列行進(その中には実兄がいました)をスタンドから帽子を振って見送った者としては、この本は読み始めたら、途中で止めることはできませんでした。

この本には重いテーマがたくさん盛り込まれていました。そして読者を惹きこむ文章力と構成に感心しました。何よりも戦前の軍国主義と戦後のアメリカ民主主義の両方を超えた立場から歴史的事実をまとめている姿勢に共感しました。戦中日本の英雄物語をこうした形で後世に伝えるべきだと思っていました。明治の英雄物語はよく放映されますが、昭和の英雄物語はGHQ時代の延長で抑制された故もあり、歴史的に断絶気味でした。

これは子どもや孫たちにも読ませたい本だと思いました。今日の毎日新聞で、この本が160万部も売れているとの広告をみて、日本はまだ大丈夫だと思いました。

◇この本に書かれた重いテーマと感銘した叙述の一部

●宮部久蔵という昭和の英雄の生き様(悲劇を生き抜き最後に散った男の中の男ーーその陰にある女性)
・宮部小隊長は引き続きラバウルに残りました。私が空母搭乗員となってラバウルを離れることが決まった時、話をしました。「井崎死ぬなよ」「たとえ母艦が沈んでも軽々しく自爆なんかするなよ」「死ぬものですか」「私の命は小隊長に二度も救われています。簡単に落としたら小隊長に申し訳が立たんです」

・話の後半から姉はずっと嗚咽を漏らしていた。井崎は静かな口調で「実は私はガンです」「半年前に医者からあと2か月と言われました。それがどうしたわけか、まだ生きています」「なぜ今日まで生きていられたか今、わかりました。この話をあなたたちに語るために生かされてきたのです。ラバウルで別れる時、宮部さんが私にそんな話をしたのは、いつの日か、私が宮部さんに代わって、あなたたちにその話をするためだったのです」井崎は窓のそとの空を見つめて言った。「小隊長、あなたのお孫さんが見えましたよ。二人とも素晴らしい人です。男の子はあなたに似て立派な若者です。小隊長見えますか」。

ゼロ戦の特徴とパイロットたちの生き様(戦中の英雄物語)
零戦は素晴らしい飛行機でした。なによりも格闘性能がずば抜けていました。旋回と宙返りの能力です。それに速度が速い。また機銃に強大な二十ミリが搭載されていました。そして航続距離が桁はずれだったのです。三千キロを楽々飛ぶのです。ドイツはメッサーシュミットという優れた戦闘機をもっていましたが航続距離が短いため、イギリス上空で数分しか戦闘できないので爆撃機の援護ができず、やがてイギリス爆撃を断念しました。

・宮部小隊長がある時いった言葉が忘れられません。「自分はこの飛行機を作った人を恨みたい」「たしかにすごい航続距離だ。千八百マイル、八時間も飛んでいられるのはすごいことだと思う。しかし、それを操る搭乗員のことが考えられていない。いつ敵が襲い掛かってくるかもわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を超えている。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間がのることを想定していたのだろうか」

・今、あの時、宮部さんの言っていたことの正しさがわかります。その航続力のゆえにどれほど無謀な作戦がとられたことでしょう。

●えぐりだされる帝国海軍の短所
・米軍のサイパン上陸を知った連合艦隊司令長官は「あ号作戦」を発令した。米機動部隊が攻撃不可能の距離から攻撃を仕掛ける「アウトレンジ戦法」だ。機動部隊にとってはリスクはないが航空隊にとってはそうではない。敵上空に達するまで二時間以上の洋上飛行を要求されるのだ。しかもその間に百キロも移動する機動部隊だ。しかもわが攻撃隊のほとんどが新人同様の搭乗員なのだ。

・この日わが機動部隊からは六次にわたって攻撃隊が出撃し、その総計は四百機を超えるすごいものだった。敵は高性能の電探でわが方の攻撃隊を百マイルの先から高度まで読み取っていた。
米軍は全戦闘機を迎撃機として発艦させ、待ち伏せした。・・・敵機動部隊に到達した彗星艦爆が次々と火を吹いて落ちていく。・・・敵の対空砲火は物凄い確率で爆撃機に命中するのだ。

・その秘密兵器は「近接信管」と呼ばれるものだった。この信管は砲弾の先が小型レーダーになっていて、砲弾の周囲何十メートルか以内に航空機が入ると、その瞬間に信管が作動して爆発するのだ。米軍はこの開発に原爆計画と同じくらいの金をかけたという。

・「近接信管」は防御兵器だ。日本軍にはまったくない発想だ。日本軍はいかに敵を攻撃するかばかりを考えて兵器を作っていた。その最たるものが戦闘機だ。航続距離、空戦機能、二十ミリ機銃、しかしながら防御は皆無。日本軍には徹底した人命軽視の思想が貫かれていた。そしてこれがのちの特攻につながっていったに違いない。

・姉が口を開いた「わたし、太平洋戦争のことでいろいろ調べてみたの。一つ気がついたことがあるの。海軍の将官クラスの弱気なことよ」「日本軍は命知らずの作戦をいっぱいとっているよね。ガダルカナルニューギニアマリアナ沖、レイテ沖、インパール。ここで忘れてはいけないのはこれら作戦を考えた大本営や軍令部の人たちにとっては、自分が死ぬ心配が一切ない作戦だったことよ」「ところが自分が前線の指揮官になって、自分が死ぬ可能性があるときは逆にものすごく弱気になる。勝ち戦でも、反撃を恐れて、すぐに退くのよ。真珠湾攻撃の時に現場指揮官が第三次攻撃を言っているのに南雲長官は逃げ帰っている。珊瑚海海戦でも井上長官はモレスビー上陸部隊を引き上げさせている。第一次ソロモン作戦でも敵艦隊をやっつけた後、それで満足して輸送船団を攻撃せずに撤退している。その極めつけがレイテ海戦の栗田艦隊の反転よ」

・「海軍の場合そういう長官が多すぎる気がする。だから構造的なものかもしれない。海軍の長官の勲章の査定は軍艦を沈めることが一番のポイントだから、艦艇修理用ドッグを破壊しても、石油タンクを破壊しても、輸送船を沈めても、そんなの対して査定ポイントが上がらないのよ。だからいつも後回しにされる。・・・日本海軍の人事は基本的に海軍兵学校の席次がものを言うってことよ」

「戦争という常に予測不可能な状況に対する指揮官がペーパーテストの成績順できめられていたってわけか」
「出世に関してはアメリカも同じみたい。ただしそれはあくまでも平時の場合で、いざ戦争になったら戦闘の指揮に優れた人物が抜擢されるらしいの。 ニミッツは何十人とごぼう抜きしたわ。アメリカ軍には失敗にはケジメがあるみたい」
日本海軍の高級指揮官たちの責任の取り方。彼らは作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった。ミッドウエーで失敗した南雲長官しかり・・・陸軍も同じだ」。「エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね」・・・「責任の話でついでに言うと、宣戦布告の手交が遅れて真珠湾攻撃が結果的にだまし討ちになってしまった原因は、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢
だった。戦後その責任者はその責任を取らされていない。何人かはその後事務次官にまで上がり詰めている」

・軍隊や一部の官僚のことを知ると暗い気持ちになるけど、名もない人たちはいつも一生懸命頑張っている。この国はそんな人たちで支えられているんだと思う。

以下のテーマで感銘した叙述がありますが、自分の記録にとどめ公開は省略します。
●大局的視点に立った解説「日本はなぜまたいかにして敗北したのか?」
●特攻生き残りに対する戦後社会の非情
戦後民主主義の浅薄な発想
●特攻という思想、行動をめぐって

<所感>
・ここに記録したことは、今までに読んできた太平洋戦争に関する本で既に知っていた部分がありますが、わかりやすくまとめられた内容で、あらためて戦争の全貌を確認し感動いたしました。