大きな議論を消してはいけない

療養中なのに身辺多事が重なり、しばらく投稿ができませんでした。
二週間ほど前の3月19日付産経新聞「日の蔭りの中で」欄に、京都大学佐伯啓思教授の「大きな議論消えたこの1年」という論説が掲載されていました。その内容に大いに共鳴しましたので、そのポイントと所感を記録しておきます。

●昨年3月11日の後には、日本社会の大きな転機であるとか、近代文明の転換であるといった議論が一気に噴き出した。また戦後日本の発展路線に対する批判も出てきた。・・・しかし1年経って昨今の議論や風潮をみると、災後の復旧論議は財政論議へと向かい、財政論議は財源へと向かい、また行政の無駄削減や増税論といったレベルへと移行してる・・・1年前のあの「緊迫感」はどうなってしまったのだろうか。

●そもそも復興会議の提案はその後どうなったのだろうか。今頃になって、野田首相が巨大ながれきの山を諸自治体で引き受けてほしいなどといっている。そして原発は再稼動するのかどうなのか、ほとんど方針が決まらない。・・・だが、あの巨大地震によって、われわれの思考を大きく変えなければならなくなったことは事実なのだ。

●第1にともかくも「復興」を優先しなければならない。とすれば増税や歳出削減よりも前に、ある程度の規模の復興対策としての財政出動公共投資は不可欠である。財政健全化はいづれ政治課題になるとしても、東北復興と福島の除染や原発処理をどのような形で実現するかの議論が優先されるべき課題である。

●第2に「災後」などという人もいるが、「災中」と見ておかなければならない。今後日本各地で巨大地震が想定されている。したがって「防災」こそが緊急の課題であって、時間をかけている暇はない。首都機能分散も当然ありうる。

●第3に原発を含めてエネルギー政策をどのようにするのか。原発についてはほとんど判断停止のように見受けられる。世論の過半数は反対であり、経済界は推進派である。私は短期的には安全性の高い原発は速やかに再稼働すべきであり、長期的には減原発にもっていくのがよいと思うが、いづれにせよ、これはある程度長期的な日本社会のビジョンと不可分であろう。

●第4に、この地震は、日本が先進国のなかでもかなり特異な立地条件のもとにあることを示した。日本の優先課題は「効率性」の追求というより、まずは「安全性の確保」であり、
偶発的な事態に対する経済社会の「強靭性(弾力性)の確保」であることが判明したはずである。過度な市場競争よりも、地域社会の安定や社会的インフラストラクチャーの確保こそが優先されるべきなのである。これは従来の「市場原理主義」とは異なる方向なのだ。

●以上いくつか列挙したが、これらは昨年の大地震から得られる当然の教訓であり、当然の方向転換である。せめてこの程度の「大きな議論」がなければ、われわれはいつまでたっても前へは進むことが出来ないだろう。


<所感>
・大震災後1年立経ち、政界・官界・財界・報道・学界の5つの分野のリーダーたちの近視眼的な行動や現実の表面的な平穏?さと深刻な課題解決への閉塞状況を目前にして、苛立っているわたしどもにとって、この佐伯啓思教授の「方向転換論→取り組むべき大きな4つの課題論」は、迷える羊たちに対する啓示のような感慨を受けました。

・「財政健全化はいづれ政治課題になるとしても、東北復興と福島の除染や原発処理をどのような形で実現するかの議論が優先されるべき課題である」という佐伯教授の視点に立てば、財政健全化を最優先して消費税増税に政治生命をかけている野田首相とそれを支える各界のリーダーたちの見識に、疑問を抱かざるをえません。

・おそらく野田首相やそれを支えるリーダーたちのの思考には、たとえば福島原発の現状を「冷温停止状態」として世界に安全を宣言したような幻想的な楽観的視点があるのかもしれません。(戦争中の陸軍首脳部に似ている?)しかし、福島原発はもう一度巨大津波が現状の福島原発を襲った場合は、首都圏も危険になるという見解もあるようですが、マスメディアではあまり真剣にとりあげられていないようです。

・4月1日の新聞では、南海トラフの巨大地震による巨大津波の想定が掲載されています。
「今は災後ではなく災中だ」「日本の優先課題は効率性の追求というより、まずは安全性の確保である」「社会的インフラストラクチャーの確保こそが優先されるべきあり、従来の市場原理主義とは異なる方向なのだ」という佐伯教授の視点に立てば、昨今の野田内閣の動向には疑問を抱かざるをえません。

原発の再稼働については、経済界も佐伯教授も短期的には安全の高い原発は速やかに再稼働すべきだという見解ですが、そもそも現在の日本に「安全性の高い原発」が存在するのでしょうか?素人の私たちでは判断が困難です。良心的な専門家達の真剣な議論が望まれます。マスメディアの原子力学者に対する取り組みには偏向があるように思われます。

・ただし、素人の私達でも次のことは判断できます。ストレステストによって安全性が確保されたとして再稼働を説明している人々は、原発安全神話を推進して来た人々であり、福島原発災害防止戦争の敗戦責任者たちのように見受けられます。この人達の言動に信頼できるわけがありません。また、地震津波災害の少ない欧米で開発されたストレステストで安全だとする思考では、日本の立地条件には合わないと思います。

・戦争中のアメリカ海軍は敗戦責任者を次の大作戦に起用することはありませんでしたが、日本ではミッドウエー海戦の敗戦機動部隊司令官を解任しませんでした。日本の悪い伝統の繰り返しか?

・「原発を含めてエネルギー政策をどのようにするのかはある程度長期的な日本社会のビジョンとと不可分であろう」との視点に共感します。原発稼働問題の議論は、やがて日本社会の長期的ビジョンの議論に発展することになるでしょう。