下山の思想に共感

五木寛之氏の新著「下山の思想」を、そうだそうだと言いながら読みました。

●私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急激に崩壊へと向かいつつあることを肌で感じている。知っている。それでいて知らないフリをして暮らしている。いま現に進行しつつある事態を直視するのが不快だからである。

●私たちは明治以来、世界の先進国に学び成長してきた。それは山に登る登山の過程にあったといえるだろう。しかし、今、この国は、いや世界は、登山でなく下山の時代にはいったように思う。

●登山するときと下山のときとでは、歩き方が違う。心構えがちがう。見上げるときと見はるかすときとでは視点がちがう。生を死の側からみつめる必要も生まれてくる。慈の思想にかわって悲の思想が大きく浮上してくるだろう。

●現代の特徴は、黒白をつける時代ではない、ということだ。黒であり同時に白でもある。そんな時代なのだ。ビフィズス菌とO157は、双方が助け合うわけではないが、片方が栄養を、摂りすぎても、もう片方が死ぬようなことは起きていない。両者は弱い共生関係にあるということらしい。・・・この国は貧しく、同時に豊かである。

●老いも立派な病気なのだ。少子化、高齢化すなわち病人大国への道といってよい。

●のびやかに明るく下山していくというのが、いまの私のいつわらざる心境である。

<所感>
・読んでいて、身にこびりついた今までの常識を無理に破壊するということではなく、自然に朽ちさせて無効にさせるような内容
であり、こうした語り部は貴重な存在だと思いました。