岩手・宮城地震で考えたこと

今朝の岩手・宮城地震のニュースをインターネットで見ていたら「中尊寺本堂の壁にひび割れ、灯篭が倒壊」という記事がありました。

もしかしたら10日ほど前の私どもの東北旅行のときに地震に遭遇したかもしれないと思い、ぞっとしました。
災害に遭遇することは人間にとっては不条理なことですが、人生にはこうした不条理が存在します。
不条理に遭遇したときにどう対処するか、どう受容するか、覚悟はあるか、考え込んでしまいます。
被災地の方々が一日も早く立ち直れますようお祈りする次第です。


不条理について今考えたことは「天災の場合ならばあきらめるしかないか・・・?、しかし人災の場合はとても受容できない」でした。
秋葉原の通り魔に殺された方の無念をどう考えたらよいのか、その不条理に苦しむ家族の方の苦しみを救う道はないのか?


今週の般若心経研究会で不条理について議論したとき、岡野守也先生から次のような話があり、心に残りました。

「宇宙は人間の都合で動くわけではないから、時として人間にとって不条理なことが発生する。不条理で亡くなったり、傷ついた方の苦い体験を、残された人々がよりよい人生に生かすことが出来なければ、不条理で亡くなった方の人生は犬死となってしまう。不条理で亡くなった方の体験を、残された人々がよりよく生きるために生かすことが出来れば、その悲惨な事実が次代のための尊い犠牲として、大きな意味がでてくる」。